いわき市の歯医者さん あべ歯科医院

院長紹介

院長:阿部 弘敏

略歴 平成2年3月 日本大学歯学部 卒業
稲葉歯科医院 勤務
山田歯科医院 勤務
平成8年5月 あべ歯科医院 開業
現在に至る
所属団体 日本歯周病学会
日本ヘルスケア歯科研究会
顎咬合学会
日本口腔インプラント学会

幼年~小学~中学時代

幼い頃の私は、痩せてけっこうガリガリでした。
「大人でそうなら、メタボにならなくていいな~」と思えるのですが、 もともと食事をするとすぐ腹が痛くなって、量をあまり食べられないタイプだったのです。

ですから、当時は母親に心配をかけていたと思います。
特に記憶に残っているのは、学校から帰ってきたときに、 母親がおにぎり作って待って座っていた光景です。
私が学校から帰ってくると、ムリヤリにおにぎりを食べさせられたのを覚えています。

そんなヒョロッとしていた私ですが、脚は早かったんです。 放課後は校庭で遊ぶのが楽しくて、友達といっしょに 「かんけり」や「だるまさんが転んだ」をして駆け回っていました。

夏はいつも外で遊んでいて、真っ黒でした(寒いのは苦手でしたけど…)。
タイムカプセルをクラスで校庭のすみに埋めたりもしました。 また、小学3~4年生の頃には、両親とよくドライブに行きました。
当時は高速道路がなく、道が悪いので、乗り心地はあまりいいものではなく 大変でしたが、それがまた子ども心に楽しかったです。

本当に親からは愛情をたっぷりもらったと思っています。 そんな楽しい小学校時代も卒業を迎え、 卒業式で「仰げば尊し」を歌ったのですが、 その場面は今でも頭に残っています。

中学生になってからは、それまでの生活が一変します。
とても厳しい学校だったので、 勉強をがんばってやることになりました。 読書が好きになって、よく本屋さんに通っていたのを思い出します。今となっては、厳しい学校に入ってよかったなと振り返っています。 そういう厳しい環境で今の自分の基礎が作られているからです。

高校生になった頃の思い出で1つ挙げると、 当時、オフコースやチューリップが流行っていて、 高校1年生のときの学園祭でコンサートで コピーバンドが最高にかっこ良かったのを覚えています。 当時の私は、音楽少年だったわけですね。 (あと、高校も厳しくて、宿題の量が多くたいへんでした…)

高校3年生が近づくと、進路を決めねばなりません。 そこで、自分がいったいどの道に進めばいいのかと考えたとき、 父親が歯が悪く、食事で困っている様子を見る機会がありました。 そのときに私は、ここまで育ててくれた父親を助けてあげたいと重い、 「歯医者さんになろう!」と決意したのです。

そして、勉強をがんばって、無事、歯学部に入学することできました。 世界史は本当に苦手で、歴史上の人物の名前がみんな同じに見えるのです。 本当に苦労しました。

合格発表のときは、嬉しかったです。 「自分の未来、夢が開けた」と心の底から思いました。 また同時に、人の健康を預かる立場に将来なるのだという責任感も感じました。

ただ、まだまだ憧れの方が強くて、 白衣で病院を歩いている先生方を見て、胸が高まり、 「自分もあんなふうになりたい、がんばって勉強しよう」と思ったものでした。

大学時代

大学の頃はサークルで軽音楽部に入りました。
当時は山下達郎が好きで、ドラムをやりたかったのです。
そのときは、先輩にめぐまれて、ずいぶんとお世話になりました。 ヘタだったが、ガマンしてよく使っていただいたからです。

3年生までは楽しく学生生活を送っていたのですが、 どんどん授業が厳しくなっていきます。 専門的なことを学ぶのですから、当然といえば当然です。

だんだん授業レポート提出やテストが多くなり、 がんばってやり抜きました。
特に実習は大変でしたね。 国家試験前になると毎日部屋にこもって1日中、勉強です。 人生の中でいちばん勉強したかもしれません。

そして、その努力が実って、無事、歯科医師国家試験に合格することできました。
歯科医師になるキッカケとなった父、 これまで支えてくれた母に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

歯科医師になって

歯科医師になってからは、まず東京都世田谷区の稲葉歯科医院で卒後すぐ2年半。 その後、東京都葛飾区の山田歯科医院で3年半を過ごしました。

そのときは、少しでも技術を吸収しようと必死でした。 そのときの院長先生には何もできない私を根気よく指導していただきましたし、 診療に対する真摯な姿勢を見て、歯科医師として大切な事を学ぶことできました。

いろいろ学びながら、自分にできることはないかと工夫を重ねながら、 抜歯した患者さんには、その日の診療後に電話をかけることをしました。
そういうとき、感謝の言葉をいただけて、やりがいを感じましたね。 その後も、咬合、義歯、インプラント、矯正、麻酔、根治、審美、接着、予防、歯周 など様々なことを勉強し、参加した講習会も何百時間を超えていると思います。

開業して

およそ6年を東京で過ごしたのち、ここいわきで開業することに決めました。

もともと生まれ育ったところであるし、親のそばにいて、 ここまでしてくれた親に何か恩返しができればと思ったので、 この地で開業することにしたのです。
患者さんから「ありがとう、何でもかめるよ!」と言っていただけたとき、 来院したときは辛そうだったのに、帰るときに笑顔になっているのを見ると、 本当に歯科医師になってよかったと感じます。

心配は今まで数多くありましたが、家族、大学の先輩、友人、 また日頃お世話になっている先生方のアドバイスなどにより 乗り越えることできました。感謝しております。

これからも向上心を忘れずに、 患者さんのために努力をしていこうと思っています。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
あなたとお会いする日を楽しみにしています。